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33件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2020-03-10 第201回国会 参議院 外交防衛委員会 第3号

政府参考人宇山秀樹君) 国後択捉の二島につきまして、過去に南千島あるいは千島南部と言及した例があったのは事実でございますけれども、サンフランシスコ平和条約に言う千島列島、その範囲は、日本ロシアとの間で締結いたしました一八五五年の日露通条約及び一八七五年の樺太千島交換条約、この規定から明らかなように、得撫島以北島々を指すものであると、そこに択捉島国後島、色丹島、歯舞諸島は含まれていないというのが

宇山秀樹

2010-11-05 第176回国会 衆議院 外務委員会 第3号

前原国務大臣 るる国会答弁等も含めてお話をされましたけれども、政府の解釈としては、北方四島が歴史上一度も他国の領土となったことがないという歴史的事実、特に一八五五年の日露通条約でも、択捉得撫島の間を国境をそのまま確認していたこと、また、千島樺太交換条約において、得撫島以北の十八島の名を列挙して千島列島としているということから、日本政府立場は不変でございます。

前原誠司

2006-08-29 第164回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

ですから、当時のソ連側の対応を見ておりましても、得撫島以北北方四島というのは、当時のソ連側認識としても領土の概念が違うということがこの占領の形態を見ても明らかだというふうに私は認識をしております。その海域で、今回、八月十六日の未明に銃撃・拿捕事件が発生をしたということでございます。  今回の事件に対して、日本政府はまずどういう考え、認識を持っているのかということを問いただしたいと思います。  

石崎岳

2001-03-27 第151回国会 衆議院 本会議 第17号

一八五五年の日露通条約により択捉島得撫島との間に日露間の国境が定められ、一八七五年の樺太千島交換条約において、我が国ロシアから譲り受ける千島列島として得撫島以北の十八の島々の名が列挙されております。  これらの事実は、我が国固有領土である北方四島が、一八七五年の樺太千島交換条約によってロシアから譲り受けた千島列島とは明確に区別されていたことをはっきりと示しているものと考えます。  

森喜朗

1992-04-16 第123回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

この訓令案の中には明確に択捉島までが日本国有の古来の領土得撫島以北ロシア帝国が持っていたものという認識から、そこで国境線を引けと言っておるわけでございます。まさにこういう資料ロシア側からも、これはイズベスチヤに二カ月ぐらい前でございますか、公表された資料でございます。  

兵藤長雄

1991-03-27 第120回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

日本はもう南樺太、サハリン及び得撫島以北千島を事実上放棄しているわけですし、また、それを明確にする用意もありますから、四島はもうぎりぎり決着の線で、これ以上の妥協はないわけです。ところが、ソ連日本の一部にアピールするように、交渉事には妥協が必要だから少し妥協してほしいということをにおわしてきているわけでございます。  

木村汎

1990-06-20 第118回国会 衆議院 法務委員会 第10号

問い合わせをしてみたら、北方館のあるそれは、北方領土を望遠鏡で見たりする、それから千島列島得撫島以北十七島を含めると四国くらいの面積になるとか、それからどういう資源があるとかいうようなこともいろいろ書いてあるわけです。北方領土返還をめぐる建物だと私は思うのですけれども、その建物のすぐ下の方に、一七八九年というからフランス革命の年です。

小森龍邦

1986-12-09 第107回国会 参議院 内閣委員会 第5号

この対日平和条約の第二条(c)項は、日本南樺太及び千島列島、すなわち得撫島以北に対するすべての権原及び請求権を放棄する旨を規定していることは、今委員の御指摘のとおりでございます。しかし、日本がどの国のためにこれらの地域に対する権利を放棄するかは規定していない次第でございまして、南樺太及び千島列島の帰属は未決定であるということも委員の御指摘のとおりでございます。  

倉成正

1986-04-23 第104回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

しかし、過去二回にわたる戦後の交渉の経緯、それから現に一八五五年二月七日、旧暦によれば、すなわち安政元年の十二月二十一日ですね、当時の帝政ロシアではありましたが、このときのいわゆる日露通条約、これにおいてソ連領得撫島以北である、我が四島は日本であるということをはっきり百四十年も前に確認しているわけです。

江崎真澄

1986-03-19 第104回国会 参議院 予算委員会 第12号

これは一八五五年の日露帝政ロシア当時の通好条約ではっきり国後択捉日本領得撫島以北ロシア領ということで、この通好条約ではっきりしておることですから、今外務大臣答弁に尽きております。これを大いにひとつ推進し、粘り強く進めていきたい。特に外務大臣がテーブルに着いてくれたということは、やっぱり高く評価をしておるものであります。  

江崎真澄

1986-03-06 第104回国会 衆議院 内閣委員会 第3号

私は思い返しますが、一八五五年、安政元年十二月十二日、これを新暦に直して二月七日を北方領土返還の日ということで毎年大会合をやっておるわけで、このごろも九段会館で開いたところでありますが、このときにはっきりと歯舞、色丹、国後択捉、これは日本である、そして得撫島以北は当時の帝政ロシア領土であるということに決まったわけでありまして、したがってそれ以来固有領土であることはもう百三十年前に決まっておることなんですね

江崎真澄

1984-08-02 第101回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

しかし、得撫島以北日本領土であることはお認めになるでしょう。なぜそれをそういうふうにはっきり書かないのか、それが問題なんですよ。あなた方のやっている四島返還ということは、果たして交渉の上でうまくいっていますか。四島返還だったらうまくいくけれども全千島返還だったらうまくいかないということは、これまでの経過から見てもそうでしょう、どっちだってうまくいってないのですよ。

岡崎万寿秀

1984-08-02 第101回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

これは国後択捉は言うまでもなく、得撫島以北においても平和的に日本が取得しました歴史的な領土であるわけですから、そして戦後処理問題につきましても、カイロ宣言ポツダム宣言というのは領土不拡大の原則をうたっておりますので、当然これは本来日本に返すべきものだ、今ソ連が占拠しているのは不当である、こういう立場ははっきりと貫くべきだと思うのです。そういうことで子供に教えるべきではないか。

岡崎万寿秀

1984-03-30 第101回国会 衆議院 文教委員会 第4号

それから第二には、一八七五年に樺太千島交換条約というものが結ばれておりますが、その第二条におきまして千島列島を定義いたしまして、得撫島以北の十八島の名を列挙しているという事実がございます。サンフランシスコ平和条約我が国が放棄した千島列島というものには、以上のような理由から北方四島は含まれていないことは明らかでございます。

西山健彦

1981-04-27 第94回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

つまり得撫島以北占守島に至る十八島も、これは決してカイロ宣言でいうところの武力をもって奪取したようなところではなくて、一八七五年に日本帝政ロシアの間で南樺太千島列島交換条約によって日本領土になった次第であって、これは完全に固有領土であるという考え方を持っておるわけであります。これを主張しているわけであります。

川村清一

1981-04-01 第94回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第4号

政府委員大嶋孝君) 得撫島以北のいわゆる北千島でございますが、ここには戦前得撫、シムシル、シュムシュという三つの郡がございました。ところが、これらの島につきましては町村制が施行されておりませんので、いわゆる町村というものはなかったわけでございます。根室支庁直轄地として根室支庁においてその事務を取り扱っておると、こういう状態でございます。

大嶋孝

1981-02-04 第94回国会 衆議院 予算委員会 第3号

九月三日にこの北方領土の四島を占領完了した、こういうふうな歴史的な経過がございますから、私どもといたしましては、われわれがサンフランシスコ平和条約でこの北千島クリール諸島を放棄する、南樺太も放棄するということを宣言しておる、こういうことから、われわれ民族の歴史を振り返ってみると、いま御指摘のように、一八五五年二月七日というものがロシア日本の間で平和裏に、しかも両国がお互いに領有権を尊重して、この得撫島以北

中山太郎

1980-11-26 第93回国会 参議院 安全保障及び沖縄・北方問題に関する特別委員会 第6号

ところが、この安政元年下田条約国境択捉島得撫島の間に引かれたということを根拠にして、得撫島以北についてはこれを放棄する、択捉島以南については十何年もたってから北方領土という形でもってこれは千島じゃない、こういうふうに主張をするというところに今日の北方領土問題のむずかしさがあるのじゃないかと私は思うのです、率直に言って。だから、その辺の理解は一体どのようになさっておられるのかということです。

瀬谷英行

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